ドナルド・トランプ

ドナルド・トランプ

ドナルド・ジョン・トランプ(Donald John Trump、1946年6月14日 - )は、アメリカ合衆国の実業家、政治家。第45代アメリカ合衆国大統領。不動産会社トランプ・オーガナイゼーションの会長兼社長を務めており、カジノ・ホテル運営会社トランプ・エンターテイメント・リゾーツの設立者である。

生粋のニューヨーカーであり、父のフレッド・トランプもニューヨーク市の不動産開発業者。父のフレッドは不動産開発事業に対するトランプの関心を育て、トランプはペンシルベニア大学ウォートン・スクール在学中から、父フレッドの経営する不動産会社「エリザベス・トランプ・アンド・サン」を手伝い[4]、大学を卒業する手前の1968年に正式に社員となる。

1971年には父フレッドから同社の経営権を与えられ、社名を現行の「トランプ・オーガナイゼーション」に改めた。以来トランプは、ホテル、カジノ、ゴルフコースその他諸々の不動産を建設したほか、航空業界や大学経営まで他業種に進出し、またその多くに自らの名前を冠し高い知名度を持ち、「アメリカの不動産王」と呼ばれた。さらにさまざまなテレビ番組にも登場し、経済界のみならず、一般大衆からも高い知名度を持つようになった。

かねてから政界進出に興味があることを公言しており、2000年の大統領選挙に出馬したがその後撤退した。しかしその後、2015年6月16日に2016年アメリカ合衆国大統領選挙共和党から出馬することを表明。トランプの初期キャンペーンは大々的にメディアの注目を浴び、広く一般の支持を集めた[5]。2015年6月以来、共和党世論調査では継続してトップの支持率を保っていた[6][7][8]。メキシコ系やヒスパニック系の不法移民に関する発言は、外国人嫌悪と取られることから共和党主流派の方針と決定的に相反するという指摘も受けており[9]、ワシントン・ポストエコノミストニューヨーク・タイムズウォール・ストリート・ジャーナル、ハフィントン・ポストなどのメディアからは大きな批判を浴びた。

その一方で、ヒスパニックへの愛を表明し、マンハッタンのトランプ・タワーで各分野のラティーノ指導者らと会談を持ち、マイノリティの声に耳を傾けてもいる[10]。また、親しい黒人女優のオマロサ・マニゴールトとともにミシガン州デトロイトを訪れ、黒人有権者らとセルフィしたり、赤ちゃんを抱っこしたり、一緒に踊ったりし、差別されてきた人たちを理解しているとアピール。さらに、共和党リンカーンの党であり、誰も排除されない国、労働者の党を目指すと宣言。有権者からの支持を増やすことに繋がった。2016年7月、トランプはマイク・ペンスインディアナ州知事)を副大統領候補に指名した。

2016年11月8日、2016年アメリカ合衆国大統領選挙一般投票が行われ、開票の結果、一部の州を除き、全米で過半数の選挙人を獲得する見通しとなったため、第45代アメリカ合衆国大統領に就任することが確実となった。11月28日、最後まで勝敗が決していなかったミシガン州の最終結果により、トランプは、全米で306人の選挙人を獲得した。

12月19日、コロラド州にある連邦裁判所にて、538人の選挙人による投票が行われ、正式に大統領に当選した。複数の選挙人が州の決定と異なる候補者に投票する造反があったが、一般投票の結果は覆らなかった[11]。得票数で対立候補を下回った候補が選挙人を獲得したのは、ジョージ・W・ブッシュアル・ゴアを破った2000年アメリカ合衆国大統領選挙以来16年ぶりとなる。

2017年1月20日、第45代アメリカ合衆国大統領に就任。前任のバラク・オバマから職務を引き継いだ[12]。1期目の就任時の年齢の70歳7ヶ月は、歴代の大統領の中で最も高齢で、史上初の政治や軍人の経験がない人物でもある[13]。

プロフィール
生い立ち

1964年4月頃
トランプは裕福な家庭の第四子としてニューヨークに生まれた。父のフレッド・トランプは、1885年にドイツのラインラント=プファルツ州カルシュタット(ドイツ語版)からアメリカに移民したドイツ人フレデリック・トランプの子で、ニューヨーク州クイーンズ区の不動産デベロッパー。母のメアリー・アンは、スコットランドのルイス島生まれで1930年にアメリカに渡った慈善家・主婦。トランプの両親は1936年に結婚し、5人兄妹をもうけた。

少年期のトランプは、クイーンズ区ジャマイカ・エステートのミッドランド・パークハイウェイ沿いで暮らし、13歳までは父が運営委員を務めるフォレスト・ヒルズ地区の学校に通っていたが、素行不良のためニューヨーク・ミリタリー・アカデミー(英語版)(陸軍幼年学校の1つ)に転入させられた[14]。

青年時代
1964年からブロンクス区のフォーダム大学に2年通ったのち、不動産の専門学科があった大学であるペンシルベニア大学経営学部(ウォートン・スクール)に転校し、1968年に経済学士号(BS (ECon))を取得して卒業した[15][16]。卒業後に父親が経営するエリザベス・トランプ・アンド・サンに入社して、仕事を通じて不動産管理や投資などの知識を身につける。

不動産王

トランプ・タワー

ロナルド・レーガン大統領とともに(1987年)
父親からの支援を受けて、1970年代からニューヨーク州などのアメリカ東海岸を中心としたオフィスビル開発やホテル、カジノ経営などに乗り出し、1971年には父フレッドから同社の経営権を与えられ、社名を現行の「トランプ・オーガナイゼーション」に改めた。

以来トランプは、ホテル、カジノ、ゴルフコースその他諸々の不動産を建設し、1980年代には、ロナルド・レーガン政権下における景況感の回復を背景に大成功を収め、「アメリカの不動産王」と呼ばれることになる。

自己顕示欲が旺盛であると言われ、代理人を使い各種メディアに積極的に露出するだけでなく、自らが開発・運営する不動産に「トランプ・タワー」、「トランプ・プラザ」、「トランプ・マリーナ」、「トランプ・タージマハール」など、自分の名前を冠している。なお、過去に代理人に対して、自分の名を記事に掲載する際には、必ず「億万長者(The Billionaire)」とつけるように指示したことがある。

自らの名前を冠した不動産の1つである「トランプ・タワー」は、1983年に、ニューヨーク五番街(ミッドタウン・マンハッタンの目抜き通りである)に建設された。1980年代のトランプの代表作として知られ、高級アパートメントとショッピングモール、オフィスエリアを擁する複合施設である。

1980年代にはスティーヴン・スピルバーグマイク・タイソンといったセレブリティが入居しており、現在もビル・ゲイツハリソン・フォードビヨンセなどの有名人が住む。ミス・ティーンUSA、ミスUSA、ミス・ユニバースの優勝者が共同生活していることでも有名である。

USFL
1983年には、新興のプロアメリカンフットボールリーグであるUSFLのニュージャージー・ジェネラルズのオーナーとなった。1985年には、春夏制であったスケジュールをNFLと同じ秋冬制にし、NFLとの合併を目指すよう他のオーナーたちを説得する。だがNFLを反トラスト法で訴えた裁判は実りなく、USFLは1985年をもって消滅することになった[17]。

苦境

トランプ・シャトルボーイング727-200型機
それまでも、自身が所有するアトランティック・シティのカジノまでの間のヘリコプター会社も経営しているなど航空業界にも進出していたが、1989年には、当時経営不振に陥っていた大手航空会社の1つであるイースタン航空のニューヨーク発(ラガーディア空港)のシャトル便路線網を買収して、自らの名を冠した「トランプ・シャトル」を興すなど他異業種への展開を進めた。

しかし1988年から1989年にかけて巨額の債務を抱え、1991年にカジノが、1992年にホテルが倒産し、また同年には不採算事業となっていた「トランプ・シャトル」も手放すことになった上に、1977年に結婚した最初の妻であるイヴァナと離婚することになった。

1994年にこれらの資産を売って借金を減らし、遊覧船事業と航空事業から撤退、マンハッタンに所有する物件も多数を中華人民共和国系の企業に売却した。現在も中華人民共和国の銀行やゴールドマン・サックスドイツ銀行などから多額の借金を抱えている[18]。

カムバック

ビル・クリントンとともに(2000年)

「アプレンティス」に出演したデニス・ロッドマンとともに(2009年)
トランプはロスチャイルド、ウィルバー・ロス、フィデリティ・インベストメンツの肝いりで危機を切り抜けた。1990年代後半から好景気を背景に復活を成し遂げ、著名な経済誌「フォーブス」が選ぶアメリカのトップ企業400社に再びランクインし、マンハッタンに新たな高級アパートメントを多数建設する他、ラスベガスやアトランティック・シティなどアメリカ中に多数のホテルやカジノをオープンするなど、再び「アメリカの不動産王」としての地位を取り戻した。

カムバック後の2000年のアメリカ大統領選挙には、アメリカ合衆国改革党の予備選挙に出馬したものの、政治コメンテーターのパット・ブキャナンが選出されることになった。

さらに2004年から、NBCリアリティ番組である「アプレンティス」にホストとして登場し、トランプの会社の正社員となるべく番組内で働く出場者に対し「You're fired(お前はクビだ)」と宣告するセリフが人気となった。これにより、かねてからアメリカ国内における知名度が高かったトランプは、その知名度をさらに上げることになった。なお、同番組の出演は大統領選出馬前の2015年まで続いた。

サブプライム問題
2007年後半に起こったいわゆる「サブプライム問題」以降の不況を受け、社債の利子の支払い不能に陥るなど経営難に陥っていた「トランプ・プラザ」、「トランプ・マリーナ」、「トランプ・タージマハール」を経営するトランプ・エンターテイメント・リゾーツが、2009年2月17日に連邦倒産法第11章の適用を申請した。同社の創業者でもあるトランプはこれに先立ち、同社の取締役会に対して「同社の株式をすべて購入する」との申し出を行ったが拒否されたことを不服として同社の取締役を辞職した。

2009年2月には、「レイト・ショー・ウィズ・デイヴィッド・レターマン」に出演した際に、同じく連邦倒産法第11章の適用を申請した「ゼネラルモーターズはつぶれるべきだ」と発言した。しかし同社は翌年から急に業界の経営が上向いた。また2010年9月9日には、「グラウンド・ゼロ」近くにイスラム教の文化センターが計画されている問題で、センター予定地を価格の25%上乗せで買い取りたいと申し出た。

2012年の大統領選挙

保守政治活動協議会で講演するトランプ(2011年)
2011年4月の世論調査では、トランプは、大統領選における共和党の候補として、アーカンソー州前知事マイク・ハッカビーと並んで、2位の支持率を獲得した(1位はマサチューセッツ州元知事ミット・ロムニー) [19]。 2012年2月2日には、共和党大統領候補としてミット・ロムニーを支持すると表明した[20]。

同年5月16日、共和党予備選挙への不出馬を表明したが、最後に付け加える形で、のちの大統領選に、再び「(政治)見習いのセレブ(Celebrity Apprentice)」として出馬する予定であるとも述べた[21]。

オバマに対する発言

保守政治活動協議会で講演するトランプ(2014年)
バラク・オバマの国籍陰謀論」も参照
2011年には、ハワイ州が発行したバラク・オバマ大統領の簡易な出生証明書("Certification of Live Birth")に疑問を呈し、「オバマは実際はハワイではなくアフリカ(ケニア)生まれで大統領の資格はないのではないか」という国籍陰謀論を蒸し返し、注目を集めた[22]。

ABCニュースに出演したトランプはカメラの前に自身の出生証明書を掲げ、オバマにも同じことをするように要求した。「アフリカ生まれ」との疑惑を払拭するため、オバマは出生証明の原本をメディアに公開し、改めてハワイ生まれであるという事実を証明した。これについてトランプは、「バラク・オバマの出生情報を提出させることに成功した」と自画自賛した[23]。

これには、一部から人種差別だという反発とボイコット運動が起こり、グルーポンが「アプレンティス」(後述)のサイトから広告を引き上げる騒ぎとなった[24]。また同年4月末に、トランプは年一回開かれるホワイトハウス記者クラブ主催の晩餐会に出席したが、ここでオバマは「この問題を取り上げていた人は、かねてからの問題に安心して取り組むことができるようになったのではないでしょうか」と、トランプら陰謀論を唱えた人々をジョークで皮肉った[25]。

2015年9月18日には、自身の集会で、自身の支持者がオバマムスリムと決めつけたときに否定しなかったことで再び非難を浴びた[26]。2016年8月10日には、フォートローダーデールの集会において、オバマと対抗馬のヒラリー・クリントンイスラーム過激派組織ISIL(イスラム国)の共同創設者であるとの持論を展開。翌11日のCNBCでのインタビューにおいて「私は事実を言ってるだけ」と述べた。しかし民主党のチャーリー・ウィルソンやオバマ陣営の外交問題顧問を務めたズビグネフ・ブレジンスキーらが、冷戦下のイスラム系反共武装集団に政治的支援を与えていたとしても、創設したとまでは言い難い。クリントン陣営は、「的外れな主張」であり、「トランプが米国を見下していることを示す新たな例」であるとの声明を発表した[27]。一方で民主党の側もロシア悪玉論を振りかざしている[28]。

2016年8月19日には、洪水の被害に見舞われたルイジアナ州バトンルージュを訪問。トラックいっぱいに詰め込まれた支援物資(子供向け玩具、衣類、おしめ、水、食料など)を運び、荷下ろしも手伝った。そして「大丈夫さ。状況は良くなる」などと被災者を励ました。その一方で、大統領就任以来300回目となるゴルフプレーに興じていたオバマ[29]に対し、「大統領はゴルフをせずに、早くルイジアナを訪れるべきだった。遅すぎる」と批判するのも忘れなかった。

2016年9月16日、トランプはワシントンで記者会見を開き、「オバマ大統領はアメリカ生まれ。以上」と短い声明を読み上げ、オバマアメリカ合衆国生まれであることを渋々認めたが、謝罪はしなかった[30]。

民主党候補者への言動
かねてよりチェロキー族を先祖に持つエリザベス・ウォーレン上院議員を「ポカホンタス」と蔑称で呼ぶなど、SNS上で民主党関係者や共和党の対抗馬などへの挑発を続けてきたトランプであるが、ヒラリー・クリントンと最後まで予備選を争ったバーニー・サンダース候補が民主党党大会においてクリントン支持を表明するとTwitterにおいて、サンダースがやってきたことは全て無駄だったと挑発。サンダースは、「Never tweet.」(二度とツイートするな)と投稿した。オバマクリントン支持を表明したことについて誰もオバマの続投を望んでいないとツイートすると、クリントンは「Delete your account.」(アカウントを削除しなさい)と短く返し話題を呼んだ[31]。

2016年8月10日、銃規制の強化をクリントンが主張していることについて、「銃を所持する権利を支持する人なら何かできるだろう」と発言し、支持者に暗殺を示唆したものとして波紋が広がった。トランプの選挙対策本部は、支持者に投票を呼びかけたものであると釈明に追われた[32][33]。アメリカ合衆国シークレットサービスは、トランプ陣営に対して事情聴取を複数回行ったことを明らかにした[34]。

一方のトランプは、肺炎と診断された民主党候補ヒラリー・クリントンの回復を願うと表明。トランプ陣営の職員らにも、クリントンの病状に配慮し、 この件に関するソーシャルメディア上の投稿を控えるよう指示している[35]。

女性蔑視発言
2016年10月8日、ワシントン・ポストは、2005年にトランプがテレビドラマ『デイズ・オブ・アワ・ライブス』の収録に向かうバスの中で、バラエティ番組『アクセス・ハリウッド(英語版)』の司会者ビリー・ブッシュ(英語版)と、結婚直後であったにもかかわらず、「私は魅力的で美しい女性に磁石のように引き寄せられ、キスを始めてしまう」と既婚女性と性的関係を持とうとしたことを発言し、猥談を繰り広げる動画を公開した[36]。

ポール・ライアン下院議長は、気分が悪くなるとしてトランプの演説会への参加を取りやめ、ラインス・プリーバス共和党全国委員長も非難する声明を発表。さらには、ジェーソン・チェイフェッツ(英語版)下院議員が、共和党の議員として初めてトランプ支持を撤回するなど、批判の広がりを受けたトランプは「気分を害した人がいたら謝罪する」と傍若無人の問題発言を繰り返すトランプが、自らの発言について謝罪を行う初の事態に追い込まれた[37][38][39]。10月10日までに共和党に所属する連邦議会議員、州知事331人のうち少なくとも160人がトランプを批判し、うち32人はトランプに選挙戦からの撤退を要求した[40]。

アメリカ大統領候補
2000年大統領選挙
詳細は「en:Reform Party presidential primaries, 2000」を参照
1999年10月25日、アメリカ合衆国改革党(英語版)に入党。ジェシー・ベンチュラの支援を受けて、2000年大統領選挙への出馬を表明する[41][42]。トランプの予備選キャンペーンはメディアの注目を浴びることとなった[43]。財政赤字削減のために超富裕層に税率14.25%を一度だけ課すことや、同性愛者差別を禁止するための1964年公民権法改正、法人税引き上げを財源に国民皆医療保険を実現することなどを掲げた。しかし、「改革党の内部対立が全く酷いこととなっている」として2000年2月には撤退している[44]。

この予備選で改革党の大統領候補となった政治コメンテーターのパット・ブキャナン[45]が、「メキシコ系移民を叩き出せ」などと暴言を繰り返していたことに対して、トランプは「パット・ブキャナンはレイシストだ。あんなことを言ったらメキシコ系の支持を失う」、「私はブルックリンで低所得者の移民の人たちと仕事をしてきた。ニューヨークにはいろんな人がいて当たり前。だから、差別的な発言は不快」と発言している[46]。

2016年大統領選挙
「2016年アメリカ合衆国大統領選挙」も参照
出馬表明会見

2015年7月16日、支援者集会で話すトランプ
2015年6月16日には、トランプ・タワーの会見場で、2016年アメリカ合衆国大統領選挙共和党から出馬することを表明した[47]。

この出馬表明の場でトランプは「メキシコ(政府)がメキシコの人を送ってくるときは、メキシコのベストな人は送ってこない。メキシコは問題が沢山ある人を送ってきて、彼ら(問題が沢山あるメキシコ人)は問題を我々のところに持ち込む。彼らはドラッグを持ちこむ。彼らは犯罪を持ちこむ。彼らは強姦犯だ。そして、いくらかは多分良い人だ!国境警備隊と話したら我々の直面していることを話してくれた。」と破天荒な発言し、大きな反発を招いた。

アメリカではヒスパニック(中南米)系住民が増加の一途をたどっており、2050年には国民の3人に1人はヒスパニックになると予想されている。このヒスパニックの反感を買う発言はトランプ自身の首を締めるものと言われた。

スペイン語放送最大手でヒスパニック向けのテレビ番組を放送しているユニビジョンは、トランプが共同事業者として参加しているMUO(ミス・ユニバース機構)との提携関係を解消し、「ミス・ユニバース」関連の放送を今後一切行わないと発表した。

米放送メディア大手NBCも「ミス・ユニバース」の放送を打ち切ると発表し、「ミスUSA」の放送も打ち切り、自社番組「アプレンティス」からトランプを降板させ、トランプ抜きで放送を続けると発表した。

トランプは同時に「私はメキシコにもメキシコ人にも敬意を抱いているし好きだよ」(I have great respect for Mexico and love their people and their people's great spirit.)とも言ったが、米大手百貨店メイシーズもトランプ・ブランドを撤去すると発表した。

男子ゴルフのメジャー大会優勝者で争われるPGAグランドスラムを開催する米プロゴルフ協会(PGA)は、10月の大会をトランプが所有するロサンゼルスのコースで行う予定だったが、別の場所にすると発表した[48]。

同月、トランプはケーブルテレビのインタビューで、大統領に当選すれば、投資家のカール・アイカーンを財務長官に、実業家のジャック・ウェルチや投資家のヘンリー・クラビスを政策ブレーンに起用すると発言した。アイカーンは「突然のことで驚いた」[49]「嬉しいが、この提案に応じられるほど私は早起きしていない」と一旦は辞退したものの[50]、後に受諾を表明した[51]。 カール・アイカーンはトランプのためにスーパーPACを組織するなど大統領選を支援し、支持を呼びかけている[52]。アイカーンタイム・ワーナーの大株主であったが、2006年2月7日にラザードとタイム・ワーナー解体を主導したことが343ページの企画書公開により明らかとなった。そのタイム・ワーナーは2016年10月現在、AT&Tが買収する見込みである。

11月、ヒスパニック系の著名な知識人67名が、「数百万の死者を出すことに繋がった異民族に対する歴史的運動を想起させる」危険なヘイトスピーチであるとの非難声明を発表した[53]。

出馬表明後

大統領選挙の遊説で使用していた自家用機のボーイング757-200
大統領専用機のエアー・フォース・ワンに肖り「トランプ・フォース・ワン」と呼ばれていた
「2016年アメリカ合衆国大統領共和党予備選挙」も参照
2015年12月には、ムスリム系夫妻がカリフォルニア州サンバーナディーノ郡で福祉施設を銃撃し14人を殺害した事件の後、「当局が(テロの)全容を把握するまで当面の間ムスリムの入国を完全に禁止するよう」提案した。メディアはこれを「ムスリム入国禁止発言」と伝え、世界的に波紋が広がり、イスラム世界はトランプ・ブランドの商品を回収するなど激しく反発した[54][55]。

この発言を巡っては、アラブの大富豪として知られるサウジアラビアのアルワリード・ビン・タラール王子が「おまえは共和党だけでなく全米の恥だ。おまえは決して勝てないから大統領選から撤退しろ」“You are a disgrace not only to the GOP but to all America. Withdraw from the U.S presidential race as you will never win."[56]と、Twitterで攻撃して話題になった。

これに対してトランプは「まぬけ王子のアルワリード・タラルの望みは、我がアメリカの政治家をパパのお金で操縦することだ。私が当選したら出来ないがね。」“Dopey Prince Alwaleed Talal wants to control our U.S. politicians with daddy’s money. Can’t do it when I get elected."[57]とツイートし返して注目を集めた[58]。

その後も様々な「問題発言」が取り上げられていたが、2016年3月当時も、共和党の指名候補争いでトップの支持率を保っていた[59]。

2016年1月19日、2008年大統領選挙で共和党の副大統領候補だったサラ・ペイリンアラスカ州知事から支持を表明された[60]。

2月27日、大統領選挙から撤退したニュージャージー州知事クリス・クリスティから共和党指名争いにおける支持を得る[61]。

3月2日、スーパー・チューズデーの日、共和党の安全保障専門家たちが「トランプの大統領就任を阻止するために精力的に取り組むと誓う」とする連名の公開書簡を発表した[62][63]。この書簡にはロバート・ゼーリック世界銀行総裁、マイケル・チャートフ元国土安全保障長官、ドブ・ザケイム元会計検査担当国防次官など120人以上が署名している[64][62]。

トランプ人気の強さが明らかになるに連れて、トランプの集会を訪れる抗議者も増えている。 特にシカゴで予定されていた3月11日の選挙集会では、移民に関する発言に反発した黒人やヒスパニック系の反トランプ派数百人が現れ、会場となっていたアリーナの5区画を占拠した。既に会場にはトランプの演説を聞くために8500~1万人の聴衆が集まっていたが、抗議者と支持者の間で殴り合いも起き、トランプ陣営は「安全上の懸念」を理由として集会の中止を発表した[65][66]。

同日、4日に共和党指名争いから撤退した元神経外科医のベン・カーソンから大統領候補としての支持を受けた[67]。